それでもまた涙は流れる

生まれつき右目だけ涙が出やすく、悲しみにくれるあるいは耐えがたい痛みがあるわけでもないのに常に眼球を潤いの層が覆っております。その所以は涙嚢という涙の控室が通常より狭くなっている(残念ながら家賃の差額を頂けることはありません)ことにあり、そのためにすぐに涙が外界に溢れ出してしまうようです。

両親は私が幼い頃に我が子の涙嚢の狭いことに気づいたようですが、幼き我が子に眼球近辺というクリティカルな部分の手術を受けさせてそれが失敗する、あるいはトラウマになってしまっては大変具合が悪いし、体が大きくなるのに伴って涙嚢も大きくなるのではないかとの期待もあったようで手術が施されることはありませんでした。しかし、それから毎日睡眠食事をし第二次成長期を経て父の身長を追い抜いても尚涙嚢が拡張されることはなく、年月の流れに寄り添うようにして意味のない涙がちょろりちょろり流れてゆくのでした。

涙が出やすくて困るシチュエーションは多々ありまして、例えばそう卒業式です。卒業式というものは充実した学校生活を送った方々にとってはアア素晴らしき青春の日々を友と過ごした学び舎とは今日でサヨナラなのねと涙を流す場面なのでしょうが、私にとっては悲しいというよりはどちらかというとおめでたいものだったので涙を流したいような気持ちはありませんでした。しかし右目の涙は無条件で溢れてきますので仕方なく拭ったりしていると、隣のデカブツに「泣いているのかい」と言われてしまったので「拭っているだけさ」と反論できていない下手な返事を返してしまう始末でした。

もうひとつ大した事件ではないのですが心の中に引っかかって滞留しているできごとがあります。それは中学二年のとき所属していた剣道部の稽古後に起こったことです。私はあまり気持ちを前面に押し出せない性質なので鬼顧問からはその精神面を指摘されたり、気は優しくて力持ちとよく馬鹿にされていました。その日は新入生の初めての稽古だったか、終わったあとのミーティングで鬼顧問による先輩紹介コーナーが催されました。リーダー格の同期から順に一言ずつ紹介されてゆき、いよいよ私の順番がきます。

「こいつもなかなか頑張っとるけど、気が弱くてな、ほら今も泣きそうになってるやろ?」

違う、違う違う。

二歩程譲って新入生諸君の前で「気が弱いやつだ」と紹介されるのはまあ事実なので構わないのですが、泣きそうになっているというのは全く余計で、冤罪を被らされているようなので反論をしたい気持ちになったのですが、今ここで涙嚢がどうのこうの言いだすとそこはたちまち事故現場になり果てますので、私はひび割れた小さなプライドの容器を抱えながらギシギシと歯を食いしばるのでした。

こんなにも不便な思いをするのなら幼少期に手術をしていればよかったのになと時々思いますが、それがもし失敗していたらなどと考えると慎重に判断してくれた両親を有り難く思います。

最近実家に帰るとなぜかこの話をよくするのですが、去年の夏に帰ったときだったでしょうか、二十数年間生きてきたのに全く知らなかった幼少期のもう一つの異常について両親から初めて知らされました。それは幼き私の尾てい骨の辺りにゴルフボール程の窪みがあったので手術をして治してもらったというものです。「あれ、言ってなかったかいね」じゃあないですよ母さん、父さん。そちらの手術には悩まなかったのですね。いっそ生活に支障がなければそのままにしておいて、父のパターの練習に使って頂いてもよかったのに。


この記事へのコメント